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家族の一員として迎えたその日から、その子の幸せはあなた次第。 年老いたペットや病気になってしまったペットに、愛情と知恵と工夫で幸せな毎日を過ごさせてあげたい。
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お別れの日
2007年04月04日 (水) | 編集 |
いつかくることは心の中で覚悟はしていたけれど、実際にそのとき私は冷静でいられる自信がなかったその日がとうとうやってきました。
2006年7月22日。
ぴろぴろとのお別れの日。

特に悪くなることも無く、ぴろぴろ的に落ち着いていたので私は実家に帰省していました。
前日の夜、主人からの電話でいつもの発作が起こったことを聞く。
でもなんだか発作後の様子が違う。
夜遅い時間だったので神戸の実家から横浜に戻ることはできない。

そして翌朝。
主人からの「ぴろがおかしい。ダメかもしれない。」という電話。
朝一番に小鳥の病院へ連れて行ってと頼んで、そのまま私は新幹線に飛び乗った。
恐れていたその時が迫っていることは認めたくないけれど、私には解っていました。

ぴろぴろはそのまま酸素吸入をした状態でとりあえず入院。
夕方の診察時間に私が病院へ行った時には、発作はおさまったものの目を閉じたままじっとしていたぴろぴろ。

どうするか決めなければならない。
あれだけ悩んで心に決めていた一言がなかなか言い出せない。
「連れて帰ります。」の一言。

このまま入院させればまた元気になるかもしれない。
その可能性が低いのは解っているのに、どうしてもそう思ってしまう。

そんな私に最終的な決断をさせてくれたのは先生でした。

「今すぐどうこうってことは無いとは思うけれど、入院させると夜中の数時間は誰もいなくなるからその間に万が一のことがあったら可愛そうだから連れて帰ってあげることをおすすめします。」

先生のこの言葉で私はぴろを連れて帰る決断ができました。

病院から家に帰る車の中で時々目を開けて私を見るぴろぴろ。
でもすぐに目を閉じてしまう。

家に帰ってしばらく手の中で眠っていたぴろぴろ。
休ませるために鳥かごの中に入れる。
もちろん止まり木には止まれないからかごの床の上。

でも脳症の発作で突然転げまわったり、翼を大きく垂直に伸ばしたり、首を傾けたまま動けなくなって涙を流したり、苦しそうに嘴をパクパクさせたり。
身体をまっすぐにしていることもできない状態。

それなのに、
そんな状態なのにありえないことが起こりました。
ぴろぴろが籠の扉のところにやってきて、えさ箱のところにある止まり木に登ろうとしたのです。

ぴろぴろは籠の外に出たがっている。

弱っている小鳥を手に乗せることは小鳥の体温を奪うことになるのでしてはいけないこと。
それはよくわかっていたけれど、私はぴろぴろを手に乗せずにはいられ
ませんでした。

すでに自分の意思で身体を動かすこともできないぴろぴろを手に乗せて、私はもうこれ以上ぴろぴろに「頑張れ。」は言えなかった。
手の中で落ち着いたのか目を閉じてゆっくり息をしているぴろぴろにかけた言葉は「もういいよ。」。
それまでの感謝の気持ちを込めた「もういいよ」の言葉。

「よく頑張ったよね。もう頑張らなくていいよ。」
そう言いながらしばらく撫で続けました。
ぴろぴろの様子が落ち着いたから主人に交代して私は涙やぴろぴろの糞で汚れた服を着替えに別室へ。
その時、主人の叫ぶ声が。
慌てて戻った時、主人の手の中で今まさに最期の時を迎えたばかりのぴろぴろがいました。
そっと目を閉じてやって「ありがとう。」を言い続けた。
悲しいよりも辛いよりも私の中にはありがとうの気持ちがいっぱいだったから。

私の傍にいる時に主人が手を出したらいつも噛み付いていたぴろぴろ。
主人に懐くのは私が留守のときだけ。
そんなぴろぴろは結局主人の手の中で最期の時を迎えた。
ほんの数十秒前まで私の手の中に居たのに、最期の時が主人の手の中だったのは偶然ではなくぴろぴろの主人に対する感謝の気持ちだったんだと思う。
「いつも噛み付いてごめんね。」っていう気持ちも少し。(笑)

涙は止まらなかったけれど、ちゃんと最期を看取ってやれたことはよかったと思えました。

いや、それは少し違うかもしれない。

看取ってやれたのではなく、私が神戸から戻るまでぴろぴろが待っててくれたというのが正しい気がする。

私がずっとずっと悩んでいたこと。
どのような最期を迎えさせてあげられるか。
一人ぼっちで最期を迎えさせることは絶対にしたくないという私の思いにちゃんと応えてくれたぴろぴろ。

言葉の通じない人間と小鳥だけど、心と心は通じる、ぴろぴろと私の間には確かに深い絆が存在していた。
そう実感させてくれたぴろぴろの最期でした。

大好きだったぴろぴろ、
私にいろんなことをたくさん教えてくれたぴろぴろとのお別れの日。

私はこれからもあの日のことを一生忘れない。

それからもう一つ。
最後に私の背中を押して下さった先生への感謝の気持ちも。

先生はぴろぴろの命があと数時間なことをわかった上で、「今すぐどうこうは無いと思うけれど連れて帰ってあげて下さい。」って言って下ったんだと思う。
先生の一言が無ければ、私はぴろぴろの最期を看取ってあげることができなかったかもしれない。

お世話になった先生への感謝の気持ちと同時に、「ぴろぴろの最期は自宅で迎えさせてあげたい。」という私の考えを前もって先生に伝えておいてよかったと思えました。


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ペットの最期を考えること
2006年11月21日 (火) | 編集 |
飼い主にとっては一番考えたくないことです。
でも一番考えなきゃならないことだと思います。

小鳥でも犬でも猫でも・・・その子の最期をどういうものにしてやるべきか。

人間が自分の老後を考えるのと同じ。
ペットは自分の老後を自分で選ぶことはできません。

ガラスケースの中で常に快適な温度管理をすることで、ぴろぴろの状態は特に悪化することもありませんでした。
でも着々と老化が進んでいることは事あるたびに感じました。

超がつく神経質なぴろぴろだったので、老化が進んでいろんなことに動じなくなったのは、ある意味助かりました。私以外の人間には基本的に攻撃態勢だったのが、いつのまにか友好的になり(笑)、実家へ連れて帰った時も環境の変化からくる体調変化がだんだん少なくなってきました。

歳をとって感覚が鈍くなってきていたのだと思います。
「人間がまるくなる」のと同じ状態。
手が掛からなくなったけれど、言い換えればそれは着々とお別れの時が近づいてきているということ。

ぴろぴろが亡くなる前2年間は私はずっとずっと悩みました。

ぴろぴろの最期をどうしてやるのがいいのか。

結果的にぴろぴろは私が予想してた通りの状態に陥り、私が悩み続けて結論を出した「ぴろぴろの最期」を迎えさせてやることができたので、今となってはよかったと思います。

持病のあるぴろぴろの最期。

それは肝臓障害の悪化からくる肝性脳症による発作。
もしくは高脂血症からくる心筋梗塞や脳梗塞。

この二つだと予想していました。
ぴろぴろの病気との長い付き合いの中で、私はぴろぴろの体調悪化の小さな初期の変化もある程度はわかるようになっていました。

平均寿命は10年に満たない子がほとんどだといわれるなか、ぴろぴろは10歳を越えた高齢。
次に体調が悪化した時、病院へ入院させるべきかさせないべきか。

私はずっとずっと悩み続けました。

入院させることでもしかしたらまたある程度まで回復するかもしれない。
でもぴろぴろの年齢、人一倍の淋しがりやで私にベッタリなことを考えると、入院させること事態がもうかわいそうなのかもしれないと思うようになったのです。

体力もある若い頃なら迷わず入院させます。
でも平均寿命を越えて、体のあちこちに「老化」の症状が顕著に現れている老鳥。

入院させて淋しい思いをさせて長生きさせることはもしかしたら私のエゴなのではないだろうか?
ぴろぴろに「入院させること」を説明して納得させることはできない。 それならばぴろぴろにとっては「私が居ない」という事実だけで十分淋しくて辛くて悲しいことなのではないだろうか?

ある人の一言が私に決断させてくれました。

「今までできるだけのことをしてもらって幸せな小鳥だと思う。最期はやっぱり大好きな人のそばに居たいと思うよ。人一倍sakanabiyoriさんのことが大好きで、甘えん坊なんだから。」

やっぱりそうだ。
最期はぴろぴろの気持ちを考えてやろう。

次に悪化した時はもう入院はさせない。
結果的にそれで亡くなったとしても、最期まで私と一緒に居たいってきっとぴろぴろはそう思ってくれている。
私も最期は手の中でって思っているんだから。

そう決心してからは少し気持ちが楽になりました。

でも、常に私の心の中ではぴろぴろのことは一番の心配ごとでした。

望むことはただ一つ。

どうかぴろぴろが一人の時にお星さまになるようなことだけはなりませんように・・・。
私の手の中で最期を迎えさせてやれますように・・・。


これは本当に大きな決断でした。

どんなに高齢であっても、
どんなに苦しんでいても、
最期まで治療を続けるのが正しいと考える人もいるでしょう。

そういう人からすると、私のこの考えは自分のペットの命の終わりを自ら決めてしまうということになるのかもしれません。

でも動物にも「心」があります。
私達飼い主が愛しいと思うのと同じ様に・・・いやもしかしたらそれ以上にペット達は私達の事を愛しいと思ってくれているのです。

「尊厳死」に対する考え方に似ているかもしれません。

でもこれは避けて通れないこと。

ペット達の高齢化が進んでいる今の世の中では、手をかけて目をかけて育てている人ほど、この問題と直面します。


私はすごく悩んで悩んで、自分なりの方針を決めました。
結果的にその通りの最期になったことは、今でもよかったと思えます。

いきなり決断をすることはできません。

ペットの高齢化を感じたときから、飼い主であるあなたがその子の最期を考えてやらなければならないと思います。

延命治療をするべきかどうか。
この答えはありません。

それはその子の状態、その子の性格、飼い主の生活、飼い主の性格によって答えは違ってくると思うから。

でも飼い主である以上、絶対に逃げないで下さい。
一番辛いことだけれども、それが責任というものです。

冷静に考えられる余裕のあるうちから、じっくり時間をかけて考えておかなければならないことです。


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